昔から、人と話していても、授業を受けていても、テスト中だとしても
心の中でいろんな思いが浮かんでは消え浮かんでは消えしていた。
自己啓発やメンタリストさんの本を見て、働くもなのなら効率的でいるべき、
効率的に生きるには集中力が大切だと教わり
1つに集中できない、雑念が浮かぶ自分を責めたり、駄目出しをしたり
自分の能力を上げようとしているのに、自己否定で気持ち下がったりよくしていた。
人の表情や、小さな仕草、言葉尻が心のアンテナに引っかかり
もやもや、もやもや。
違うことを言われても、訂正できないし
自分の意見を言う事なんて無理。
そうすると、よく
「人に”違う”ということや”NO”を言えないのは、相手によく見られようとしている」
と書いてる本があり、読むたびに
「私は、いい格好しぃなんだ」と落ち込んでいたが
本当は
「怖くて、自分の意見を言えないだけ」
何が怖いかって?
「私のことを話すなんて、聞く相手にとってはどうでもいい話だろうから話せない」
というのが根底にあって
映画の話題になって
既にその映画を観てたとしても、
「私が映画の話をするなんて、相手にとってはどうでもいいだろうから話せない」
その話せない、思いの根底は
「知ったかぶりと思われたらどうしよう」
ではなく
「私の(思った)ことを話すなんて、聞く相手にとってはどうでもいいだろう」
と
ちょっとした表情を敏感に感じ取り(今となれば、その感じ方が間違いだったことがほとんどだったと知る)
いつでも心の中で
人がどう思っているだろうと、憶測をして、感情の先読みをしていた。(しているつもりだった)。
私の言葉や行動で人に伝わるように表していることと、
実際に思ったことや、頭に浮かんだことは
違っていることも多かった。
人の言葉が、表情、態度・・・が気になる。
でも、自分を繊細さんなどというのもおこがましく
神経質な人、うるさい人
って自分の行動パターン、思考パターンが悪いのだと自分を否定していた。
土台の部分で、人より劣っている感覚を何十年も常に持ちながら生きてきた。
だから友人関係も仲良くなって、長時間一緒にいるようになっても
自分の話しはできないので、上部のお付き合いな感じで
自分も苦しいし、相手にもどうでもいい時間を過ごさせるのが心苦しくて
自分から距離をとっていきフェードアウトして行くのが、いつものパターンだった。
選ぶ本は、人の心の話など。
HSPの話を聞いて
「私、繊細さんだ、心の中はいつも色んなことを感じて、言葉が出る。」
少し前までは、それで疲弊していた。
でも今は
この自分に向き合った1年半でだいぶ変わって、マイナスからゼロ地点へきた。
今、そしてプラスに向かうところ。
相手の顔色を見なくなった。
自分のやりたいこと、感情に耳を傾けれるようになった。
自分を一番大切に。
色んなマインドの本や自己肯定感の本を読むと、そう書かれている。
今までも、実践していたつもりだったけど
全然、人の顔色やため息に左右されていた。
今は
「相手は相手でどうにかしてる、どうにかできる」
と相手を信じることができる。
いや、そういうことさえも思わずに
1番に私の感じていることを味わっている。
そうやって、やっと0地点に立てたので、
今まで人の判断基準を採用していた私を、自分の好きを伸ばしていこう。
心が軽い。